不動産事例紹介

借地借家・建築・境界等の不動産問題について、弁護士が問題解決のための道標となる裁判例(CASE STUDIES)等を詳しく解説しています。

手付解除の期限が設定されている売買契約においても、手付解除期限前に売主、買主のどちらかが「履行に着手」した場合は、手付解除はできなくなるのか?

【買主からの質問】

私は自宅を建築するための土地を宅建業者から購入することになり、売買契約を締結し、手付金を支払いました。

その後、家庭の事情により転居することになったため、売主に対して手付金を放棄して手付解除したいと申し出ました。

売買契約では、手付解除について「相手方が契約の履行に着手するまで、又は、平成12年5月26日までは手付解除ができる」と規定されており、この期限内に手付解除の申し出をしています。

 

しかし、これに対して、売主の宅建業者からは、「売買のために測量して境界確定図まで作成した」、「履行の着手があったといえるから、手付解除はできない」と言われてしまいました。

 

契約書に手付解除の期限が書かれていたので、この期限までは手付を放棄すれば解除できるものと思っていましたが、できないのでしょうか。

【解説】

本事例は、名古屋高等裁判所平成13年3月29日判決の事例をモチーフにしたものです。

本事例では、手付解除に関する契約書の条項において「相手方が契約の履行に着手するまで、又は、平成12年5月26日までは手付解除ができる」と規定されていたために、手付解除ができるのが、

①相手方が契約の履行に着手するまで

もしくは、

②平成12年5月26日まで、

なのかが争われたというものです。

なお、最近の売買契約書では、手付解除については、

「売主、買主は、本契約を表記手付解除期日までであれば、互いに書面により通知して、解除することができます。」

と規定されている場合が多いので、本事例のような問題は生じないようにも思われます。

しかし、民法557条1項において、「買主が売主に手付を交付したときは、買主はその手付を放棄し、売主はその倍額を現実に提供して、契約の解除をすることができる。ただし、その相手方が契約の履行に着手した後は、この限りでない。」と規定されているため、売買契約の手付解除条項とこの民法557条1項但書のどちらが優先されるかという問題はなお生じるものと考えられます。

本事例において、裁判所は、まず、民法557条と異なる手付解除の期限を設定している売買契約の条項の有効性については、以下のように述べて、有効であると判断しました。

「民法五五七条一項の趣旨は、当事者の一方が既に履行に着手したときは、その当事者は、履行の着手に必要な費用を支出しただけでなく、契約の履行に多くの期待を寄せていたわけであるから、このような段階において、相手方から解除されたならば、履行に着手した当事者は不測の損害を蒙ることになるため、このように履行に着手した当事者が不測の損害を蒙ることを防止することにあるとされている(最高裁大法廷昭和四〇年一一月二四日判決、民集一九巻八号二〇一九頁)。」

 「他方、同条項の趣旨がこのようなものであるとしても、同条項は任意規定であり、当事者がこれと異なり、履行の着手の前後を問わず手付損倍戻しにより契約を解除できる旨の特約をすることは何ら妨げられていない。」

以上の解釈を前提として、本事例において裁判所は、本件手付解除条項の解釈について、手付解除ができるのが、①相手方が契約の履行に着手するまでなのか、それとも②平成12年5月26日までなのかについては、②が相当であると判断しました。

その理由として、

① 売主が宅建業者の場合に手付解除を排除する特約(及び買主に不利な特約)を無効とする宅建業法39条2項、3項の趣旨

② 民法及び宅建業法の趣旨を前提として、手付解除条項は、当事者の合理的意思解釈としてなるべく有効・可能なように解釈すべきであること

③ 一般に、履行の着手の意義について特別の知識を持たない通常人にとって、「履行の着手まで」「又は」「五月二六日まで」手付解除ができるという本件手付解除条項を、履行の着手の前後にかかわらず「五月二六日まで」は手付解除ができると理解することは至極当然であること

を挙げて、「本件手付解除条項の解釈については、民法五五七条一項の場合に加えて履行の着手後も手付解除ができる特約としての意義を有する」と判断し、手付解除特約で設定された期限までは手付解除ができると判断しました。

本件の判断は、売主が宅建業者であり買主が一般消費者であり、買主側からの手付解除という点がそれなりに考慮されていますので、売主と買主が逆だった場合や、宅建業者側からの手付解除の場合には結論が異なっていたという可能性はあります。

また、最近の売買契約書で見られるように、単に「売主、買主は、本契約を表記手付解除期日までであれば、互いに書面により通知して、解除することができます。」とだけ規定されている場合においては、この裁判例が「民法557条は任意規定であり、当事者がこれと異なり、履行の着手の前後を問わず手付損倍戻しにより契約を解除できる旨の特約をすることは何ら妨げられていない。」と述べていることも併せ考慮すれば、当事者の履行の着手後であっても、手付解除期限までは手付解除ができると判断されると考えられます。もっとも、この場合においても、当事者の一方がどちらか一方が宅建業者であり、宅建業者からの解除の場合にも同様の解釈となるかどうかはなお問題になり得ると考えられます。


この記事は2024年3月23日時点の情報に基づいて書かれています。

公開日:2024年03月23日 更新日:2024年03月23日 監修 弁護士 北村 亮典 プロフィール 慶應義塾大学大学院法務研究科卒業。東京弁護士会所属、大江・田中・大宅法律事務所パートナー。 現在は、建築・不動産取引に関わる紛争解決(借地、賃貸管理、建築トラブル)、不動産が関係する相続問題、個人・法人の倒産処理に注力している。