不動産事例紹介

借地借家・建築・境界等の不動産問題について、弁護士が問題解決のための道標となる裁判例(CASE STUDIES)等を詳しく解説しています。

通常損耗についても借主に原状回復義務を負担させるとした特約が、消費者契約法に違反し無効とされた事例

【質問】

居住用の賃貸物件について、賃貸借契約の特約によって「通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化」についても、終了時に賃借人が原状に復する義務を負う、と定めた場合、これは有効になりますか?

【説明】

建物の賃貸借契約が終了し、賃借人が建物を明け渡す際に、賃借人はこれを原状に復して返す義務があります。

この「原状回復義務」については、2020年4月1日から施行された改正民法においても以下のように明確に定められました。

【民法621条】

「賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。以下この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない」

この条文の通り、賃借人は、「通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化」を除いた損傷部分について、これを借りた時の状態に戻す義務を負うということとなります。

では、例えば、本文の設問のように、賃貸借契約の特約によって「通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化」についても、終了時に賃借人が原状に復する義務を負うと定めた場合、これは有効となるのでしょうか。

まず、民法621条は強行法規(当事者の合意によっても変更が認められない法規)ではありませんので、621条と異なる内容の原状回復に関する合意を賃貸人と賃借人間で行った場合も、原則として有効となります。

しかし、賃貸物件が居住用であり、かつ、借主が個人の場合には、賃貸借契約には消費者契約法が適用されることとなります。

消費者契約法10条は、

「消費者の不作為をもって当該消費者が新たな消費者契約の申込み又はその承諾の意思表示をしたものとみなす条項その他の法令中の公の秩序に関しない規定の適用による場合に比して消費者の権利を制限し又は消費者の義務を加重する消費者契約の条項であって、民法第一条第二項に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するものは、無効とする。」

と定めています。

そのため、通常損耗部分についても借主に負担させるとする特約は、「借主の義務を加重し、信義則に反して借主の利益を一方的に害するもの」に該当するとして消費者契約法10条によって無効とされるのではないか、という点が問題となるのです。

この点について判断したのが、大阪高等裁判所平成16年12月17日判決です。

この事例は、通常損耗についての原状回復義務を借主に負担させるとした特約が消費者契約法10条に違反し無効と判断したものです。

この事例では、賃貸借契約の締結時に原状回復に関する文書を借主に交付し、その文書では「原状回復すべき内容を冷暖房、乾燥機、給油機等の点検、畳表替え、ふすま張り替えなどと具体的に掲げ、賃貸人が原状回復した場合の賃借人の費用負担額の基礎となる費用単価を明示」していました。

しかし、裁判所は、この点について

「自然損耗等についての原状回復の内容をどのように想定し、費用をどのように見積もったのか等については、賃借人に適切な情報が提供されたとはいえない。」

「本件原状回復特約による自然損耗等についての原状回復義務を負担することと賃料に原状回復費用を含まないこととの有利、不利を判断し得る情報を欠き、適否を決することができない。

このような状況でされた本件原状回復特約による自然損耗等についての原状回復義務負担の合意は、賃借人に必要な情報が与えられず、自己に不利益であることが認識できないままされたものであって、賃借人に一方的に不利益であり、信義則にも反する。」

と判断して、無効と解釈しました。

以上のように、通常損耗についても借主に負担させる特約を定める場合には、借主が負うべき原状回復の範囲を契約で明確に特定するだけではなく、借主がこれを負担する合理的な根拠(通常損耗を借主が負担することを前提として賃料を設定した等)を貸主から借主に説明し、通常損耗部分の原状回復費用の概算も明示するなどして、情報提供も十分に行うことが必要です。

【参考判例:大阪高等裁判所平成16年12月17日判決】

本件原状回復特約は、自然損耗等についての賃借人の原状回復義務を約し、賃借人がこの義務を履行しないときは賃借人の費用負担で賃貸人が原状回復できるとしているのであるから、民法の任意規定の適用による場合に比し、賃借人の義務を加重していることは明らかである。

イ 前記のとおり、本件原状回復特約により自然損耗等についての原状回復費用を賃借人に負担させることは、賃借人の二重の負担の問題が生じ、賃貸人に不当な利得を生じさせる一方、賃借人には不利益であり、信義則にも反する。

そして、本件原状回復特約を含む原状回復を定める条項は、退去時、住宅若しくは付属設備に模様替えその他の変更がある場合、賃貸人の検査の結果、畳、障子、襖、内壁その他の設備を修理・取り替え若しくは清掃の必要があると認めて賃借人に通知した場合には、自然損耗も含み、本件建物を賃貸開始当時の原状に回復しなければならないとされており(第一九条)、賃貸人が一方的に必要があると認めて賃借人に通知した場合には当然に原状回復義務が発生する態様となっているのに対し、賃借人に関与の余地がなく、賃借人に一方的に不利益であり、信義則にも反する。

また、居住目的の建物賃貸借契約において、消費者賃借人と事業者賃貸人との間では情報力や交渉力に差があるのが通常であり、本件において、賃貸借契約書(甲一)調印の際に交付された原状回復等に関するご連絡という文書(乙一)の内容は、別紙のとおりであるところ、これによれば、原状回復すべき内容を冷暖房、乾燥機、給油機等の点検、畳表替え、ふすま張り替えなどと具体的に掲げ、賃貸人が原状回復した場合の賃借人の費用負担額の基礎となる費用単価を明示し、さらに、敷金と原状回復費用とを差引計算して返還するものであるところ、敷金を返還できるケースが少なく、逆に多額となる場合もあることが指摘されているが、本件原状回復契約による自然損耗等についての原状回復義務負担の合意及び賃料に原状回復費用を含まないとの合意に関し、五万五〇〇〇円という賃料額が従前の賃借人の負担した自然損耗等についての原状回復費用を含めたものか否か(控除したか否か)とか、これを含めたもの(控除しないもの)とすると考えられる本件の場合、事後的に退去時に発生する原状回復費用をどのように賃料に含ませない(控除する)こととするのか、原状回復の内容をどのように想定し、費用をどのように見積もったのか、とりわけ、自然損耗等についての原状回復の内容をどのように想定し、費用をどのように見積もったのか等については、賃借人に適切な情報が提供されたとはいえない。

したがって、賃借人は、敷金額二〇万円、賃料五万五〇〇〇円という各金額を前提に、本件原状回復特約による自然損耗等についての原状回復義務を負担することと賃料に原状回復費用を含まないこととの有利、不利を判断し得る情報を欠き、適否を決することができない。

このような状況でされた本件原状回復特約による自然損耗等についての原状回復義務負担の合意は、賃借人に必要な情報が与えられず、自己に不利益であることが認識できないままされたものであって、賃借人に一方的に不利益であり、信義則にも反する。

したがって、本件原状回復特約は信義則に反して賃借人の利益を一方的に害するといえる。

控訴人は本件原状回復特約が合理性を有して公平である旨を種々主張するが、自己が自然損耗等についての原状回復費用を出捐しないまま、自然損耗等についての原状回復費用に相当する分の二重負担という態様で賃借人に原状回復義務を負わせ、賃借人の損失の下に実現する合理性、公平性であって、同主張は、信義則に反し、正当なものといえない。

ウ よって、本件原状回復特約、即ち、自然損耗等についての原状回復義務を賃借人が負担するとの合意部分は、民法の任意規定の適用による場合に比し、賃借人の義務を加重し、信義則に反して賃借人の利益を一方的に害しており、消費者契約法一〇条に該当し、無効である。


この記事は2020年7月9日時点の情報に基づいて書かれています。

公開日:2020年07月09日 更新日:2020年07月09日 監修 弁護士 北村 亮典 プロフィール 慶應義塾大学大学院法務研究科卒業。東京弁護士会所属、大江・田中・大宅法律事務所パートナー。 現在は、建築・不動産取引に関わる紛争解決(借地、賃貸管理、建築トラブル)、不動産が関係する相続問題、個人・法人の倒産処理に注力している。