低周波音とは100Hz以下の周波数の音のことをいいます。

この低周波音には、中・高周波音(100Hzを超える周波数の音)には無い、低周波音に特有の特徴があります。

主に、以下の3つの特徴が挙げられます。

1 家屋の防音効果が乏しいこと

通常は、家の窓や壁は相当の遮音量を持ちますので、家の中で窓を締め切っていれば外の音はかなり遮音されることになります。

これは、耳で感知される中・高周波音についてであり、耳では感知されにくい低周波音については、一般的には家屋によって遮音されにくいと言われています。

そのため、低周波音に対しては、二重サッシ等の防音工事の効果はほぼ及ばない可能性があるという指摘もされています。

なお、現実には、同じ音源(騒音発生源)から中・高周波音と低周波音の両方が発生していることが多く、中・高周波音と比較して、相対的に低周波音のレベルが低いと、低周波音は知覚されないことがあります。

しかし、家屋の中に入った場合、または防音工事等でさらなる遮音措置を施せば、中・高周波音は多少軽減されたとしても低周波音は軽減されないため、遮音すれば相対的に低周波音が増強されることになり、それまで中・高周波音に紛れて必ずしも知覚できていなかった低周波音が明確に聞き取れることとなるのです。

この点については、「一般的に、窓を開けている場合は、屋外からの騒音成分により低周波音が隠れて聞こえなく(感じなく)なることがある。一方、窓を閉めた場合には、騒音成分のみが遮音され低周波音が際立って聞こえる(感じる)ことがある。」との指摘もされています(環境省環境管理局大気生活環境室「低周波音問題対応の手引書」3頁)。

2 屋内で共鳴して屋外よりも音圧が大きくなること

低周波音は屋内において共鳴することが多く、これによって、低周波音の影響はより大きくなります。

すなわち、家屋の窓や壁を透過した低周波音が屋内で共鳴するような場合は、屋内で定在波が生じることとなるため、屋外よりも屋内の方がレベルが高くなることがあります(「風力発電施設からの低周波音の予測/評価について(第7回風力発電施設に係る環境影響評価の基本的考え方に関する検討会資料)」)。

ここで、定在波とは、部屋の中で、壁と壁の間の距離と音の波長の半分が一致すると、音の干渉により室内で音の分布が一定となり、壁際の音圧が大きく部屋の中央の音圧が小さくなる現象が発生します。この状態の音波を定在波といいます。

3 距離減衰しにくいこと

低周波音も物理的には音波であり、その伝搬特性は中・高周波音と大きく変わるところはありません。

しかし、低周波音の場合、音圧が大きい場合も少なくなく、その場合は長距離にわたって伝搬し影響を及ぼすこともあります。

このような長距離伝搬の場合、高い周波数の音の方が減衰が大きいため、伝搬距離が大きくなるに従って、低周波側の成分が卓越してきます。

このような低周波音の伝搬特性の関係から、音の伝搬距離が大きくなった場合、可聴域(すなわち、中・高周波音)の周波数帯は減衰し、超低周波音の周波数領域が卓越し、人には直接的に感知されませんが、建具などのがたつきで間接的に低周波音の存在が感知され、苦情となることもあります(「騒音制御工学ハンドブック」397頁参照)。


2018年10月8日更新

世の中には多くの「音」が溢れていますが、それが、人にとって許容できない、もしくはうるさいと感じるレベルになれば「騒音」として認識され、被害・紛争を発生させるものとなり得ます。

近隣住居や工業施設から発生した「騒音」については、それが「受忍限度」を超える大きさの音の場合、損害賠償の対象となり、そのレベルが著しいものであれば差止の対象にもなります。

このような、騒音に対する差止訴訟や損害賠償請求訴訟というのは昔からよくある紛争類型の一つです。

「うるさい」音、すなわち「大きな音」が騒音として問題になることは、ある意味当然のものとして認識されていますが、近年はこれに加えて「低く重たい音」、すなわち「低周波音」の被害というものが問題提起されています。

これは、「大きい音」「うるさい音」ではないものの、低く重たい音が途切れることなく聞こえてきて「うっとおしい」、「気分が悪くなる」、「振動感を感じる」、「音が気になって眠れない」といった被害の訴えを生じさせるというものです。

このような低周波音は、身近な例で言えば、大型の冷蔵庫だったりエアコンの室外機から発せられる低い音(「ブゥーーン」というような重く低い音)などが挙げられます。また、最近はこれらに加えて、エコキュートやエネファームなどの給湯器から低周波音が発せられると被害を訴える方もいらっしゃいます。

低周波音の問題というのは、環境省によって、今から10年以上前に、苦情の原因となるのはどの程度の騒音レベルか、という点等に関して調査・研究も行われています。

しかし、規制する基準というものは未だ存在せず、一般の方々にとっても、騒音問題の中でも、この低周波音に対しては騒音としての自覚が無かったり、まだまだ低周波音というものに対する理解が浸透していないのが実情です。そのために、高レベルの低周波音を発生させていることに自覚がなく、近隣住居等との間に紛争を生じさせてしまい、さらに発生源となる機器を設置した施工業者やメーカーを巻き込んだ紛争にまで発展してしまうということも生じ得るのです。

低周波音については、日本においてはまだ環境基準や規制基準がない状況ですので、紛争となった場合に、当事者全員が納得できるような解決に進めることには多大な困難を伴うことも多いです。

したがって、まずは、各人が、低周波音というもの、そこから生じうる被害というものの存在を認識するということが重要であると考えています。

そこで、これから数回に分けて低周波音とその被害について解説をします。
まず今回は、「低周波音とはそもそも何か」ということを解説します。

まず、「音」とは、空気の微小な圧力変動であり、その変動が耳に伝わって鼓膜を振動させることにより、人は音として感じます。

また、1秒間に振動する回数を周波数といい(ヘルツ(Hz)という単位で表される)、回数が多ければ高い音、少なければ低い音として聞こえます。

一般に人が聴くことができる音の周波数範囲は20Hzから2万Hzとされています。これを「可聴域」といい、可聴域の範囲外である20Hz以下の音を「超低周波音」、2万Hz以上の音を「超音波」といいます。

人の耳の感度は、空気が振動する際の圧力変化(音圧)を指標とすると、2000Hzから5000Hzあたりが最も感度が良く、低音域になるほど感度が鈍く聞こえにくくなります。

特に100Hz以下では急速に感度が低下するので、環境省は100Hz以下の音について、超低周波音を含めて「低周波音」と定めています。

したがって、低周波音による被害が問題となる場合は、この100Hz以下の騒音レベルがどの程度発生しているか、ということが問題把握のための出発点となります。


2018年10月1日更新

【建物オーナーからの相談】

築50年が経過した鉄筋コンクリート5階建てのビルを所有しています。

かなり老朽化が進んでおり、耐震診断では震度5以上の地震が発生した場合、大破するかもしれないと言われています。

耐震工事をすると6000万円近くの費用がかかるとのことでしたので、店子には立ち退いてもらい建て替えを計画しているのですが、1階にある貸事務所の店子1室だけが立退に応じてくれません。

弁護士からは裁判を起こして立ち退いてもらうしかないこと、ただし裁判所から立退料の支払いを命じられる可能性があると言われていますが、立退料がどの程度かかるかよくわかりません。

なお、立退きを拒否している店子は、20年ほど前に入居し、そこでゴルフ会員権売買を行っているようです。賃料は月5万円です。

【説明】

賃貸人として、賃貸借契約を解約する場合には、老朽化を理由とした賃貸借契約の解約の申入れを行う必要があります。この解約の申入れを行うことにより、解約申入れ時から6ヶ月を経過すれば賃貸借契約は終了となります(借地借家法27条1項)。

しかし、賃貸人からのこの解約の申入れは、それをしただけでは当然に解約が認められるわけではなく、賃借人が解約を拒んだ場合には、解約の申入れに「正当事由」がなければ、法律上の効力が生じません。

この点は、借地借家法28条

「建物の賃貸借の解約の申入れは、建物の賃貸人及び賃借人(転借人を含む。以下この条において同じ。)が建物の使用を必要とする事情のほか、建物の賃貸借に関する従前の経過、建物の利用状況及び建物の現況並びに建物の賃貸人が建物の明渡しの条件として又は建物の明渡しと引換えに建物の賃借人に対して財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出を考慮して、正当の事由があると認められる場合でなければ、することができない。」

と規定しているとおりです。

では、「正当事由」が認められる場合とは、どのような場合を言うのでしょうか。

本件のような建物の老朽化を解約の理由とする場合、老朽化だけでは正当事由は認められず、妥当な金額の「立退料」の提供が必要とされるケースが非常に多いです。

本件の事例は、東京地方裁判所平成24年11月1日判決をモチーフにした事例ですが、この事例でも、裁判所は、建物の老朽化が相当進んでおり、解体の必要性が高いことは認めつつも、長年賃借物件で事情を営んできた賃借人の利益も考慮し、立退き料の支払いと引き換えに、賃借物件からの立退きを認めました。

では、本件において裁判所は立退料をどのように算定したのでしょうか。

この裁判例においては、立退料について、不動産鑑定士による鑑定が行われています。

その鑑定では、以下のように述べて、主に借家権価格を中心として立退き料を算定しています。

また、賃借人が貸室で事業を営んでいたことから、賃借人側は営業補償を加えるよう求めましたが、本件では、営業損失が発生する証拠はないとしてこれを認めませんでした。

賃貸物件の立退料の算定方法の一つとして参考になる事例です。

【判旨】

1 (立退料の金額)

鑑定の結果によると,本件貸室の借家権価格が372万円,通損補償額63万7300円(工作物補償額21万9600円,動産移転補償額6万9900円,移転雑費補償額34万7800円)の合計であると認められるところ,本件において,原告による解約の正当事由の補完としての立退料の金額は,上記の借家権価格の3分の2にあたる248万円と通損補償額63万7300円の合計額311万7300円とするのが相当である。

2 (賃借人からの営業補償を加味すべきとの主張について)

被告らは,立退料は,鑑定の結果算出された金額に,開発利益の配分170万9037円及び営業補償1733万4080円を加味するべきであると主張する。しかしながら,本件において,前記の借家権価格及び通損補償額の他に,開発利益の配分額相当額を支払わせる必要があるとは認められないし,営業補償についても,本件貸室を明け渡すことにより被告らにその主張するような損失が生じる蓋然性が高いと認めるに証拠はなく,これを,上記金額に加味する必要があるとはいえない。


2018年9月1日更新

【質問:不動産の売主から】
築38年の中古マンションを所有していましたが、これを3000万円で売却しました。
その後、買主から
「先日の大型台風の暴風雨により、サッシから水が入ってきたし、室内の壁紙にも雨水が浸透していた」
「売主は、これに対する瑕疵担保責任を負うべきだ」
との主張がありました。

私が住んでいたときは、このような浸水被害が起きたことはないのですが、ただ、築38年で経年劣化も相当ありますので、このようなことが生じることもしょうがないのではないかと思います。
私は瑕疵担保責任を負うことになるのでしょうか?

【説明】
本件の事例は、東京地方裁判所平成26年1月15日判決の事例をモチーフにしたものです。

売買の目的物に隠れた瑕疵(欠陥)がある場合、民法五七〇条により損害賠償請求や、場合によっては契約の解除が認められます。

そこで、本件のように、築38年のマンションについて、サッシや構造躯体からの雨漏りの発生が「隠れた瑕疵」といえるか、という点が問題となります。

ここで「隠れた瑕疵」とは

「売買の目的物に民法五七〇条の瑕疵があるというのは、その目的物が通常保有すべき品質・性能を欠いていることを言う。」

とされています。

これを本件に当てはめて言えば

「売買目的物である本件物件について合意された品質と性能は,築38年の分譲マンションが通常有する程度のものであったということができ,本件契約に関する民法570条の「瑕疵」の該当性も,そのような品質性能を欠いているか否かという観点から判断すべきである。」

ということになります。
なお、売主が本件物件の建物躯体及び窓やドアのアルミサッシの品質性能について契約上特段の合意がされたとか,特段の品質性能を保証した場合には、それが契約の内容となりますが、この事例ではそのような特別な合意はありませんでした。

以上を前提として、東京地裁は、築38年のマンションが通常有する性能を欠いているかどうか、という観点から買主の主張する不具合(サッシや壁紙の雨漏り)が瑕疵に該当するかどうかを判断しましたが、この点について、東京地裁は以下のように述べて、買主が主張する不具合は、いずれも本件契約に関する民法570条所定の瑕疵に該当するとはいえない、と判断しています。

1 本件物件で壁紙に雨水が浸透する不具合は,建物躯体のひび割れが原因であるとは認められるものの,大規模修繕が行われていない限り,経年により建物躯体に雨漏りを生じるようなひび割れが生じることは一般にあり得ることと認められる(甲6)。しかし,本件物件のマンションの躯体のひび割れの程度が,築38年の分譲マンションとして通常有すべき品質性能に欠ける程度にまで至っているとの事実を認めるに足りる証拠はない。
2 本件物件の窓アルミサッシの空気孔は,強風時に自然に開いてしまう状態にあるとは認められるものの,これが,築38年の分譲マンションの窓アルミサッシの性能として通常有すべき品質性能に欠けると認めるべき証拠はない。
3 本件物件の窓アルミサッシは,激しい降雨時に,サッシ溝に溜まった雨水が室内に溢れる現象を生じる状態にあるものの,サッシ溝に雨水が溜まること自体は一般的な窓の構造に起因するものであり,また,溜まった雨水が室内に溢れるのは,本件物件のアルミサッシが築38年と旧いものであり水抜き穴等の機能が乏しいことが原因であると認められる。したがって,本件瑕疵3のうち,サッシ溝に雨水が溜まることはそもそも不具合には当たらず,また,その水が溢れる不具合も,築38年の分譲マンションの窓アルミサッシの性能として通常有すべき品質性能に欠けるとはいえない。

なお、本件では、買主は、仲介業者に対して説明義務違反であるとして損害賠償を主張していましたが、これに対して裁判所は

「上記のとおり本件瑕疵がいずれも築38年の分譲マンションとして通常有すべき品質性能に欠けるとまではいえないものである以上,原告の主張にいう重要な意義を有する情報には当たらず,したがって被告らがその説明義務や調査義務を負うともいえない。」

と述べて、その責任を否定しています。

築年数が相当経過した中古マンションの場合、どこまで経年劣化でどこからが「瑕疵」になるのか、その判断は難しい場合もあります。本件事例は、このような築年数が相当経過している建物についてどこから「瑕疵」と判断されるのかについて、参考となる事例です。
紛争を未然に防ぐには、築年数に応じた性能しか売主は責任を負わない、という点を買主と認識を共有することや、インスペクションの利用が有用と考えられます。


2018年8月3日更新

【アパートオーナーからの質問】

独身の中年男性(生活保護を受給されています)に貸している部屋があり、3ヶ月後に更新が迫っていたので、管理会社から更新の案内のハガキを送りました。

しかし、何も返答がなく、再度案内を出しましたが、やはり返答がありませんでした。

登録していた電話番号にかけたところ、別人の女性が出てきたり、部屋に直接行ってノックをしたものの、全く反応がありませんでした。しかも、ドアに鍵はかかっておらず、部屋の中に入ってみたところ、ビニール袋等のゴミが山積みになって足の踏み場もない状態で,異臭が漂っていました。

その後も、賃借人が部屋に戻ってくる様子もなく一月半ほど不在が続きました。

 

契約書には「賃借人の無断不在1か月以上に及ぶ時は敷金の有無にかかわらず,本契約は当然解除され、室内の家財等も売却処分できる」との約定がありましたので、そこで、管理会社と相談し、室内の家財等の荷物を撤去し、鍵も交換しました。

そうしたところ、その3日後くらいに、突然賃借人から連絡があり「鍵が変わっていて部屋に入れない。」と言ってきました。

また、勝手に家財を処分したことなどについて、損害賠償として400万円を支払え、という請求を受けています。

なお、賃借人は、アルコール依存症で長期間病院に入院していたために不在だった、ということが後で判明しています。

我々がしたことは、違法と判断されてしまうのでしょうか。

【説明】

本件は、東京地裁平成22年10月15日判決の事例をモチーフにしたものです。

本件のように、突然所在不明となってしまった賃借人について、賃貸人が裁判の手続を経ずに荷物の処分や鍵の交換等の明渡行為を行うことは、法的に「自力救済」と言われます。

この、自力救済は,原則として禁止すべき、というのが法律の考え方であり、例外的にこの自力救済が許されるのは、

「法律の定める手続によったのでは,権利に対する違法な侵害に対抗して現状を維持することが不可能又は著しく困難であると認められる緊急やむを得ない特別の事情が存する場合においてのみ,その必要の限度を超えない範囲内で,例外的に許されるにとどまる。」

というのが最高裁の考え方(最三小判昭和40年12月7日判決)です。

したがって、仮に賃貸借契約に「賃借人の無断不在1か月以上に及ぶ時は敷金の有無にかかわらず,本契約は当然解除され、室内の家財等も売却処分できる」というような条項があるからといって,自力救済が直ちに適法となるものではありません。

本件の事例において、裁判所は、賃貸人側(実際に被告とされたのは賃貸人からの依頼を受けて鍵の交換や家財の処分をした管理会社でした)の自力救済行為は、違法であると判断し、管理会社には損害賠償として110万円(家財の損害、慰謝料、弁護士費用)の支払を命じています。

この事例で、賃貸人側は、自力救済が例外的に許されると主張し、その事情として、

・本件貸室に入ったところ,トイレは便器にも床にも糞便がまき散らされ,山積みのゴミの下にある布団には尿が染み込んでいて,強い異臭を放ち,あちこちに弁当の食べ残しのような生ゴミがあり,腐敗臭があり、それ以上放置すると害虫が発生して建物を傷めたり,配管を通じて臭気が隣室に流れたりするおそれがあった

・また,賃借人が長期にわたり行方不明であることや,室内が異常な状態にあったことにかんがみ,玄関ドアの鍵を現状のままにすると部外者が同室に立ち入る危険もあったため鍵を交換した

・この状態を放置しておくと,害虫が発生して建物が傷んだり,隣室にも臭気が流れて賃貸が続けられなくなったりするおそれが大きく,賃貸人の建物所有権を維持することは不可能又は著しく困難であった。

ということを主張しました。

しかし、これに対して、裁判所は、

・本件貸室内の布団に尿が染み込んでいて強い異臭を放ち,弁当の食べ残しのような生ゴミがあったことを裏付ける証拠はない。

・本件処分行為の前の時点で,第三者から苦情が述べられていなかった。

・そうすると,本件処分行為の時点においては,少なくとも害虫の発生や異臭の流出は現実化していなかったと認めるべきであり,本件処分行為の前の時点において,原告による建物所有権に対する違法な侵害があったとは認められない。

として、賃貸人側の主張を認めませんでした。

また、上記理由に加えて、裁判所は、

「賃借人は、江戸川区の生活保護担当者の勧めで入院していたのであり,管理会社が,賃料を入金していた江戸川区福祉事務所に連絡をとれば,賃借人の所在を知ることができたというべきである。にもかかわらず,管理会社は何らそのような措置を講じなかった。本件において,自力救済を認めるべき緊急やむを得ない特別の事情があるとは認められない。」

と述べ

「したがって,本件処分行為は違法であり,管理会社は不法行為に基づく損害賠償責任を負うというべきである。」

と判断して、管理会社の損害賠償を命じました。

裁判手続で貸室の明渡手続をする場合、どうしても一定程度(2〜3ヶ月)の時間はかかってしまいます。そのため、「このままの状態を放置しておいたら建物が大変なことになる」と焦って、自力救済に及んでしまうこともあるかもしれませんが、自力救済が認められるハードルは極めて高いのが実情です。

したがって、自力救済をすべきか否か判断する場合には、

・裁判手続を待っていたら、建物に対する重大な悪影響が避けられないという事情と証拠が存在すること

・他に取りうる手段はすべて尽くしたこと(賃借人関係者への連絡など)

という2点を完璧にクリアできる状況かをまず確認することが肝要です。

【質問】

自宅を建てるために5000万円で宅地を購入しました。

設計まで終わり、これから着工という段階で施工業者が近隣住民に挨拶に回ったところ、正面の私道を挟んだ向かいの住民が暴力団風の男性で、「設計図を持って来い」と脅迫されました。

その後、私と設計士で、設計図を持って訪れたところ、「ばか野郎」などど繰り返し怒鳴りながら、「自分の家の縁側に日陰がかからないようにしろ」、「俺は有名な右翼だ。」、「俺はおまえのようなやつを殺したことがある。」、「こんな家建てさせてやらない。これでは絶対に許さない。」、「建築士の馬鹿野郎。何もわかっていない。」「俺の家に影がかかるのは許さない。」

などと暴言を吐かれ、脅迫のような形で無理な設計変更を強要されてしまいました。

警察に問い合わせたところ、「この隣地住民は暴力団関係者の可能性がある」ということでした。

相手の要求に従っていたら、思い通りの家が建てられないのですが、ここで無理して建築を強行しても、後で相手から危害を加えられるかもしれません。

そのため、止む無く建築を断念しました。土地は今も更地のままです。

隣地にこのような者がいることがわかっていたら、この土地を買うことはありませんでしたので、売買契約を解除したいです。

私の主張は認められるのでしょうか。

 

【説明】

注記:2020年4月の民法改正により民法570条は「瑕疵担保責任」ではなく、「契約不適合責任」となりました。本事例は改正法適用前の事例であることにご留意の上、御覧ください。

売買の目的物に隠れた瑕疵(欠陥)がある場合、民法五七〇条により損害賠償請求や、場合によっては契約の解除が認められます。

そこで、本件のように、宅地の隣地の住民が暴力団関係者の可能性があり、設計変更を強要するような人間だった場合に、それが宅地の「隠れた瑕疵」といえるか、という点が問題となります。

本件の事例は、東京高等裁判所平成20年5月29日判決の事例をモチーフにしたものです。

この裁判例は、まず、「隠れた瑕疵」の意義について以下のように述べています。

「売買の目的物に民法五七〇条の瑕疵があるというのは、その目的物が通常保有すべき品質・性能を欠いていることをいい、目的物に物理的欠陥がある場合だけでなく、目的物に経済的・法律的な欠陥がある場合を含むと解するのが相当である。」

このように、瑕疵とは、物理的な欠陥だけではなく、経済的な観点からの欠陥も瑕疵に含まれるとしています。

そして、これを本件の事例について検討すると

・隣地住民は脅迫的な言辞をもって、誠に理不尽な要求を突きつけていたのであり、このような脅迫罪や強要罪等の犯罪にも当たり得る行為を厭わずに行う者が本件私道のみを隔てた隣地に居住していることが、その上に建物を建築、所有して平穏な生活を営むという本件売買土地の宅地としての効用を物理的又は心理的に著しく減退させ、その価値を減ずるであろうことは、社会通念に照らして容易に推測されるところである。

と述べて、結論として、

「そうすると、本件売買土地は、宅地として、通常保有すべき品質・性能を欠いているものといわざるを得ず、本件売買土地には、本件瑕疵、すなわち、脅迫的言辞をもって本件敷地部分における建物の建築を妨害する者が本件隣地に居住しているという瑕疵があるというべきである。」

として瑕疵の存在を認めました。

そうなると、後は、買主側として、契約の解除まで認められるかが問題となりましたが、裁判所は、瑕疵の存在を認めたものの、契約の解除までは認めず、瑕疵による土地の価格の減価分を15%として、売買代金の15%相当額を損害として認めました(地裁では減価分を30%としていましたが、高等裁判所で15%まで減額されています)。

土地の減価分を15%として理由について、裁判所は

「一般に、土地や建物の不動産の売買においては、本件におけるようなAによる脅迫的言辞を弄しての地上建物の建築妨害は論外としても、ある程度の迷惑行為を行う住民が近隣に居住していることは、必ずしも珍しいことではないと考えられ、不動産の買主はそのような迷惑行為を行う住民が近隣に居住するリスクも考慮し、近隣の住民や環境についての調査をした上で、購入するのが通常であり、そのようなリスクは、不動産の価格相場形成の一因として織り込み済みのものであるということができる。」

「本件敷地部分中に占めるAによる建築禁止要求部分の面積(約三坪)に対応する金額は約六〇〇万円となること」

という点を考慮して、売買代金額(5170万円)の15%を損害額とするのが相当であると判断しています。

また、契約の解除までを認めなかった理由について、裁判所は

「確かに、Aによる脅迫的言辞による要求が続く限り、本件売買土地上に建物を建築して平穏に居住することには、物理的又は心理的に相当な困難が伴うことは否定できない。

しかし、上記のようなAによる要求が法律上理由のないものであり、原告らがこれに従う義務のないことはいうまでもない。」

「また、Aによる上記のような要求は、その態様、程度によっては、脅迫罪や強要罪等の犯罪にも当たり得る行為であり、そのような場合には、刑事手続による検挙、処罰によってこれを抑止することも期待できるし、民事上も、Aがそのような要求を繰り返して本件敷地部分における建物の建築を妨害するならば、仮処分手続等によってその差止めを求めることも考えられるのであって、本件瑕疵の存在によって本件敷地部分の上に建物を建築して平穏に居住することがおよそ不可能になっているとまでいうことはできない。」

「したがって、本件瑕疵の存在によって本件売買契約を締結した目的を達することができなくなったとする原告らの主張は、採用することができない。」

「以上によれば、原告らは、本件瑕疵の存在を理由に民法五七〇条、五六六条による瑕疵担保責任に基づき、被告らに対して損害賠償請求をすることはできるが、本件売買契約の解除をすることまではできないというべきである。」

本件は、宅地の売買について物理的瑕疵ではなく、いわゆる「心理的瑕疵」を認めた一つの事例として参考になります。

なお、瑕疵担保責任の請求は、損害賠償が原則であり、契約の解除は例外と位置づけられているため、本件でも契約の解除については、裁判所は非常に高いハードルを設定しています。


2018年5月2日更新

2021年11月19日追記

【マンション売主からの質問】

弊社が建築した新築のマンションを3640万円で売買契約をし、手付金200万円を受領しました。

しかし、買主からは代金決済期日までに残金が支払われず、連絡も取れなくなってしまいました。

そこで、契約の解除通知をし、契約書で規定していた違約金(売買代金の2割)として728万円を請求しました。

なお、契約解除後すぐに別の買主が見つかり物件の売却はできています。

これに対して、買主側からは、「違約金が代金の2割というのは不当に高く信義則違反だ」、「すぐに売却できたのだからそんなに損害はないはずだ」などと反論を受けており、違約金の支払いを拒まれています。

買主の言い分は正しいのでしょうか。

【説明】

宅地建物取引業者が売主となる宅地建物の売買契約では、契約の解除に伴う損害賠償額の予定や違約金を定めるときは、その合計が売買代金の額の10分の2を超えてはならないという制限があります(宅地建物取引業法第38条)。

逆に言えば、売買代金の2割までであれば、違約金として契約で定めても良い、ということになります。

上記事例は、福岡高等裁判所平成20年3月28日判決の事例をモチーフにしたものですが、この事例では、宅地建物取引業者が売主としてマンションの売買を行い、違約金も売買代金の2割と定めていました。

そこで、売主は、買主の代金不払いを理由として契約解除後に、違約金として契約書通り売買代金の2割相当額を請求した、という事例になります。

これに対して、裁判所は、売買代金の2割という違約金額は不当に過大であるとして、手付金と同額の200万円に減額するという判断をしました

裁判所はなぜこのような判断をしたのでしょうか。

まず、裁判所は、違約金特約について

「本件違約金特約は、損害賠償額の予定と推定される(民法420条3項)ところ,売主は,買主に対し,損害の発生,損害額を証明することなく,約定の違約金の支払を請求することができ,裁判所は違約金の額(損害賠償の額)を増減することができない(同条1項)ものとされる。」

と原則論を述べます。

しかし、他方で、例外として、

「約定の内容が当事者にとって著しく苛酷であったり,約定の損害賠償の額が不当に過大であるなどの事情のあるときは,公序良俗に反するものとして,その効力が否定されることがあり,また,公序良俗に反するとまではいえないとしても,約定の内容,約定がされるに至った経緯等の具体的な事情に照らし,約定の効力をそのまま認めることが不当であるときは,信義誠実の原則により,その約定の一部を無効とし,その額を減額することができるものと解するのが相当である。」

として、約定の違約金額が不当に過大である場合には、信義則により無効となる場合があることを述べました。

そして、宅建業法の制限内である売買代金の2割という違約金額については、

「本件建物は,解除の効力が生じて1か月も経たないうちに売却され,しかも,本件マンションの他の物件と比較しても早期に売却されたものということができる。」

「そうすると,買主の違約により,売主に損害が生じたとしても,その程度は比較的軽微なものと推認すべきところ,本件違約金特約が全面的に有効であるとすれば,違約金の額は728万円にものぼることになる。」

「このような結果をそのまま容認することは,たとえ,買主がいったん本件契約を締結したものの,夫の理解が得られず,本件マンションの耐震性の問題等を口実に契約の解消を求めたという本件の経緯を十分に考慮に入れても,信義則に照らし許されないというべきである。」

と述べた上で、違約金額については、

「売主が買主に対し違約金として請求できるのは,信義則上,既に授受されている手付金200万円及びこれに加え200万円と認めるのが相当である。」

と判断しました。

宅建業法38条が規定する違約金の制限(売買代金の額の10分の2)はあくまで上限の制限であり、具体的な態様や損害の程度を考慮して、裁判所により減額される可能性がある、ということに留意する必要があります。


2018年3月30日更新

【仲介業者からの質問】

弊社は、土地の売買の仲介を行いました。

売買契約及び引渡し後に、買主から「隣地の建物が傾斜しており、4階から〜5階屋上部分の外階段が10数センチ越境していてこちらの土地にかかっている」

「そのせいで予定していた建物が建てられなくなり、工事が大幅に遅延した。予定していた賃料が入らなかった分の損害を賠償しろ」

と言われ、約7000万円の請求を受けています。

確かに隣地建物が傾斜していて越境していることは事実ですが、この土地は商業地で建物がかなり密接して建っている地域であり、目視で越境を確認することは困難でした。

また、土地の売主からは、物件状況報告書で越境はない、との回答を得ています。

買主は、「隣地建物の所有者にも確認すべきだった」などとも主張してきています。

我々仲介業者は、目視ではわからないような隣地建物の越境についてどこまで調査しなければならないのでしょうか。

【説明】

上記の事例は、東京地裁平成23年9月12日判決の事例をモチーフにしたものです。

仲介契約は、民法上は、準委任契約(民法656条)であり,仲介業者は,依頼者との関係で善管注意義務(同法644条)を負い,物件等につき,依頼の趣旨を踏まえて十分調査を行い,説明をしなければならない、とされています。

この事例では、隣地建物の越境について調査・説明をしなかったことについて、仲介業者の上記善管注意義務違反があるかどうかが争いとなりました。

この事例で、裁判所は、以下の理由により、仲介業者の注意義務違反を認めず、買主の損害賠償請求を否定しました。

その理由としては、以下の4点を挙げています。

1 本件売買契約当時,本件土地及び本件建物の売主は,本件隣地建物の傾斜や越境の事実を認識しておらず,これを仲介業者に説明していなかった

2 本件土地と本件隣地との境界には,境界杭が設けられておりその境界について争いがなかった

3 本件隣地建物の越境部分は,建物の4階から屋上部分にわたって取り付けられた外階段の一部であって,本件建物が存在していることもあり,目視では越境を見つけることが困難であった

4 当時,本件土地の売買にかかわっていた者たちの間で,隣接土地の越境について言及をした者はだれもいなかった

これらを理由として、裁判所は「通常の調査において,越境の事実を見つけることは困難であったものと認められる。」と結論づけました。

なお、買主側は、「本件隣地建物の越境について,本件隣地建物の所有者への聞き取り調査や振り子を使った下げ振り測定等必要な調査を尽くさなかったことを指摘して,善管注意義務違反である」旨の主張をしました。

これに対して、裁判所は、

「本件において,被告が,本件隣地建物の所有者への聞き取りを行っていれば,本件隣地建物の傾斜の事実は,判明した可能性はある。」

と言いつつも、

「土地の売買契約の仲介に際して,常に隣地の所有者等に対しての聞き取り調査を行う義務まで仲介業者にあるとはいえない」

等と述べて、やはり仲介業者の注意義務違反を否定しています。

この判例を踏まえれば、仲介業者としては、売主本人の自己申告や目視による調査で越境を疑うような事実がなければ、隣地建物所有者等にまで聞き取り調査を行うまでの注意義務はない、と解することができます。

仲介業者の調査・説明義務違反を巡る事例は多いですが、裁判例の傾向としては、仲介業者の義務を一律高度に設定するというわけではなく、仲介業者に不可能を強いることがないような結論に落ち着かせている傾向があると言えます。


2018年3月6日更新

Q 当社が所有している建物を、老人ホーム事業を行っている業者に賃貸しました。その建物は、賃借人への引渡後、賃借人の事業で老人ホームとして使用されています。

賃料については、契約書で「月額700,000円(内消費税等含む)」と定め、これまで月70万円を受け取ってきました。

しかし、ある日、賃借人より、

「本件建物は賃借人の有料老人ホームとして使用されているため、本件賃貸借契約は「住宅の貸付」にあたり、賃料につき消費税は非課税である」「賃料70万円のうち、消費税部分の月額3万3333円についてこれまで払った分を返して欲しい」

と言われました。

契約をした当時、双方とも老人ホーム事業を行なうための建物の賃貸借について、消費税が非課税になるとは考えていませんでしたし、当社はこの賃料の分の消費税も申告して納税しています。

それでも、賃借人に返還しなければならないのでしょうか。

A 消費税法6条1項、同法別表第一の13は「住宅の貸付」については消費税が非課税である旨定めているところ、本件賃貸借契約の当初から建物が有料老人ホームとして使用されていることが認められる場合、賃貸借契約は「住宅の貸付」にあたり、消費税は非課税となる。したがって、賃料の合意のうち消費税額3万3333円の授受を約した部分は錯誤により無効であり、賃借人からの返還請求は認められる。

本件事案は、東京地裁平成28年6月8日の事案をモチーフにしたものです。

賃貸借契約当時、賃貸人・賃借人のいずれも老人ホーム事業を営む目的の建物賃貸借契約の賃料には「消費税が課税される」という認識でした。

そのため、契約書でも「月額700,000円(内消費税等含む)」と合意され、賃借人は、約4年間に渡り当該賃料を支払っていました。

しかし、後から、賃借人がおそらく税理士から指摘を受けて、賃貸人に対して、「消費税は非課税となるはずだから消費税部分の賃料は不当利得だ」としてその返還請求を求めた、というのが裁判例の事案です。

裁判所の判決は、まず

消費税法6条1項、同法別表第一の13は「住宅の貸付」については消費税が非課税である旨定めているところ、本件賃貸借契約の当初から本件建物は賃借人の有料老人ホームとして使用されていることが認められるから、本件賃貸借契約は「住宅の貸付」にあたるものと考えられる。

とした上で、

「本件賃貸借契約の賃料・・・に消費税が課税されるという認識であった点において賃貸人・賃借人には共通の錯誤があった」

とし、さらに

「上記の本件賃貸借契約の賃料に消費税が課税されるという共通の錯誤は、「月額700,000円(内消費税等含む)」という形で表示され、もし賃借人が消費税が非課税であることを知っていたならば賃料本体額66万6667円に消費税額3万3333円を加えて70万円の賃料を授受する旨の表示はしなかったであろうことは社会通念に照らしてもそう考えられるから、民法95条にいう意思表示の要素に関する錯誤にあたる」

「したがって、賃料の合意のうち消費税額3万3333円の授受を約した部分にかかる賃借人の意思表示は無効と判断される。」

として、賃借人からの返還請求を認めました。

なお、賃貸人は「消費税として受け取ってきた金額について消費税の申告をして納めていたのだから不当利得はない」と主張しましたが、裁判所は、

「消費税額を受け取った時点で賃貸人に同額の財産状態の増加すなわち利得を認めることができ、賃貸人からは税務当局に消費税の更正請求をしたにもかかわらず非課税と認められなかったなどの事実の立証もないから、賃貸人の主張は採用できない。」

として、賃貸人の主張を排斥しました。

建物を老人ホーム事業のために賃貸する場合、居住者の居室だけではなく、訪問介護センター、介護スタッフ室、事務室、厨房及び食堂として使用される部分もあるため、「住宅の貸付」ではなく事業用施設の賃貸借になると考え、消費税が課税になると誤解して税込で賃料を規定してしまう例も生じてしまうのかもしれません。

この点については、国税庁のホームページでも「介護事業者が事務室等として使用する部分は、入居者が日常生活を送る上で必要な場所であることから、本件建物全体が住宅に該当すると認められ」る、という見解も示されているところです。いずれにしても、迷った場合には税理士等の専門家の見解を確認して対応することが無難と言えます。

(国税庁ホームページ URL:

https://www.nta.go.jp/tokyo/shiraberu/bunshokaito/shohi/130306/01.htm

Q 私が所有している賃貸マンション(築46年)の一室で、賃借人がタバコの不始末により火災を発生させ、その一室内全面が燃えて完全に使えない状態になってしまいました。その部屋は使えなくなり、賃借人は退去しました。

そのため、私は、フローリング、給排水設備、電気やガス設備の補修費用として143万円を要することとなってしまいましたので、これを賃借人に請求しました。

すると、賃借人からは、

「自分はこの物件に19年賃貸で住んでいる。築年数も相当経っており、国交省の原状回復のガイドラインによる経年劣化の年数を既に経過しているのだから、この分は賃貸人が負担すべきだ」

と反論してきて、支払に応じません。

確かに古いマンションですが、賃借人の責任で一室使えなくなってしまったのに、その補修費用をこちらが全て負担するというのは腑に落ちません。果たしてどうなるのでしょうか。

A 通常使用により生じる程度を超えて貸室内の設備を汚損又は破損したと認められる場合、国土交通省のガイドラインの考え方が本件に及ぶか否かにかかわらず、賃借人は、貸室内の設備等が本来機能していた状態に戻す工事を行う義務があるというべきである。

上記質問は、東京地方裁判所平成28年8月19日判決の事例をモチーフにしたものです。

賃貸物件の賃借人の退去後の原状回復については、国土交通省により「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」が示されて以降、この考え方による賃借人負担が賃貸・裁判実務で通用しています。

すなわち、壁のクロス,フローリング,襖,流し台といった貸室内の設備の原状回復においては、国土交通省のガイドラインにより、ガイドラインにおいて想定されている経年変化の年数を経過している場合、これらの原状回復費用は賃借人ではなく賃貸人において負担すべきもの、ということになります。

そのため、本件の事例でも、賃借人側はガイドラインの考え方を主張して、自らの不始末で貸室内に火災を発生させて室内設備を毀損したものの、「19年住んでいて経年変化の年数を経過しているので、これらを直す費用は賃借人ではなく賃貸人負担だ」という主張をしたわけです。

これに対して、裁判所は、以下のように述べて、ガイドラインの考え方を適用すべきかどうかを問題とせずに、原状回復について賃借人の責任を認め、工事費用の請求を認めました。

賃借人は,本件火災前の劣悪な使用方法及び本件火災により,通常使用により生じる程度を超えて201号室の設備を汚損又は破損したと認められる。

ガイドラインの考え方が本件に及ぶか否かにかかわらず,賃借人は,通常使用していれば賃貸物件の設備等として価値があったものを汚損又は破損したのであるから,201号室の設備等が本来機能していた状態に戻す工事を行う義務があるというべきである。

以上の通り、裁判所は、ガイドラインの考え方によらず、「貸室の設備等が本来機能していた状態に戻す工事を行う義務」がある、として賃借人の責任を認めています。

その根拠は判旨からは明確ではありませんが、国交省のガイドラインでも

「経過年数を超えた設備等を含む賃借物件であっても、賃借人は善良な管理者として注意を払って使用する義務を負っていることは言うまでもない」

「そのため、経過年数を超えた設備等であっても、修繕等の工事に伴う負担が必要となることがあり得ることを賃借人は留意する必要がある。」

と述べられており、具体的には

「経過年数を超えた設備等であっても、継続して賃貸住宅の設備等として使用可能な場合があり、このような場合に賃借人が故意・過失により設備等を破損し、使用不能としてしまった場合には、賃貸住宅の設備等として本来機能していた状態まで戻す、例えば、賃借人がクロスに故意に行った落書きを消すための費用(工事費や人件費等)などについては、賃借人の負担となることがあるものである。」

と述べられていますので、この考え方に拠ったものと思われます。

なお、この裁判例では、工事費用の他、「原状回復工事が完了するまでの間、当該貸室を他に賃貸に出すことができなかった」という逸失利益も認め、賃料7ヶ月分の損害も認めています。


2017年12月6日更新