不動産所有者になりすました者について、なりすましに気づけずに売主の本人確認情報を作成した弁護士に対し、買主からの不動産売買代金等の損害賠償請求が認められるかどうかが問題となった裁判例
現在、地面師を取り上げたドラマが話題となっています。
そのドラマの中でも「地面師詐欺は緻密かつ高度な犯罪テクニックが必要な犯罪である」と言われているように、地面師詐欺事件は巧妙な手口で行われるために、何も知らずにその取引に関与した弁護士や司法書士等の専門家がなりすましを見破れず、紛争の当事者となってしまうケースがあります。
地面師詐欺の不動産取引に関わった専門家の賠償責任が問題となった事例はいくつかありますが、今回は、地面師詐欺と知らずに関わってしまった弁護士の賠償責任の有無についての判断を示した事例として東京高裁平成29年6月28日判決(原審東京地裁平成28年11月29日判決)を紹介します。
この判決の事案の概要は以下のとおりです。
① Y弁護士(本件の被告)は、以前に事件の依頼を受けたことがある不動産取引ブローカーのBから、収益物件(港区内の賃貸アパート)の売買において、売主の立会人となる弁護士を探しているとの依頼を受けた。弁護士Yは、一旦はこれを断ったが、ブローカーのBからどうしても弁護士の関与が必要と懇願されたため、引き受けることとした。
② 弁護士Yは、Bが連れてきた不動産の所有者と自称する70代後半女性と面会したが、その際にその女性(以下「自称A」という。)は、「不動産は夫の遺産であり遺産分割協議により自らが単独で所有することになったが、不動産の売買は初めてであり、不安があるため、弁護士に契約締結に立ち会ってほしいと思った」と話した。
③ その後、弁護士Yは、ブローカーのBより、「所有者のAが不動産の登記識別情報通知を紛失したため、本人確認情報を作成してほしい」と依頼されたため、その翌日に、自称Aと面談を行い、本人確認資料としてA名義の住民基本台帳カードの提示を受け、氏名、住所、生年月日、干支を訪ね、自称Aの回答が正しかったため、本人確認情報を作成した。
④ 買主X(個人・本件の原告)は、旧知の不動産ブローカーG(ブローカーBから物件情報の提供を受けたブローカー)よりこの物件の情報の提供を受け「売主は、本件不動産を相続により取得したが、親族間で揉め事があり、税金支払いのため売却を急いでいる、売買代金2億5000万円は現金一括決済が条件、取引には弁護士が関与する」などの情報を聞いた。Xは、自分の知り合いの弁護士にも相談したが、特に問題がないだろうとの意見を得たので、情報提供を受けた翌日に、不動産の購入を申し入れた。
⑤ その3日後、弁護士Yの事務所において、買主、なりすましの売主、ブローカーB、仲介業者者等計約10人の立ち合いのもと、売買代金2億5000万円の売買契約が締結された。そこで、買主Xは、売主のなりすましである自称Aに現金で2億4000万円を引渡すとともに、弁護士Y作成の本人確認情報、遺産分割協議書等により、本件不動産の所有権移転登記を経た。
⑥ しかし、翌月になり、不動産の真の所有者Aが、自らの不動産名義が移転されていることに気づき、所有権移転登記の抹消訴訟を起こした。結局買主Xは所有権を取得できなかった。
⑦ そこで、買主Xは、自称Aに騙されて不動産所有者Aの本人確認情報を提供した弁護士Yに対し、住民基本台帳カードや遺産分割協議書等の偽造及び所有者のなりすましに気付かずに誤った本人確認情報を提供した過失があるとして、不法行為に基づき、売買代金相当額、登記移転費用等、計3億2239万円余の損害賠償を請求した。
以上が本件の概要です。
結論から言えば、一審判決は、弁護士Yの不法行為責任(過失)が認めましたが、これに対して弁護士Yが控訴し、東京高裁は一審判決を覆し弁護士Yの責任は認めないという判断をしています。地裁と高裁の判断が分かれており際どい事例だったと見られますので、ここでは、弁護士Yの責任を認めた地裁判決の内容を主に紹介します。
この不動産取引において「地面師」から提供されていた所有者の住基カードや印鑑証明書などは当然ながら全て偽造されたものでしたが、登記申請が法務局に受理され、移転登記もなされていたため、弁護士がその書類の外観だけをみても偽造したものと見破ることは不可能な事案だったと見られます。
このため、一審判決でも、弁護士Yが、なりすました者から住民基本台帳カードの提示を受けて本人確認を行ったことについては、
「不動産登記法及び同規則に定められた方法による本人確認は行われており、その内容も、申請者代理人として通常要求される程度のものを満たしているということができる。」
と認定されています。
しかし、この事案では、取引の対象となった不動産は、所有者が相続によって取得したものであったため、その内容を示すための遺産分割協議書も売買契約において売主から買主に対して提供が必要な書類となっていました。
そして、不動産ブローカーBと自称売主がもってきた遺産分割協議書の内容は、
・相続関係説明図において被相続人の前妻の死亡日が「平成44年9月17日」とされている
・被相続人の死亡日が平成25年7月28日と記載されており、本件不動産の登記事項証明書に記載された相続開始日である平成25年2月28日と異なっていたり、相続開始日が、本件遺産分割協議書の作成日と同じ日である平成25年12月10日と記載されている
という明らかに誤った内容を含むものであり、そのままでは遺産分割協議に基づく登記申請に用いることができないことにつき容易に気付くことができる内容のものでした。
このため、一審判決においては、裁判所は、弁護士Yに対して
「この遺産分割協議書の誤記に関して調査、確認を何ら行ってないものと同然の状況にあるというほかはない。」
と認定し、さらに、
「本件売買契約における決済は、最終的に、自称売主が現金で2億4000万円を受け取ることになったものであるところ、それ自体異例な決済方法であるし、昭和10年生まれで決済当時78歳の高齢であるはずの自称売主に上記のような多額の現金を交付することは、著しく安全を欠く行為といわざるを得ない。また、上記決済方法は、銀行振込による方法などと異なり、金銭が移動した痕跡が残らないものであり、成りすましによるものであった場合、その後の金銭の流れを調査することが著しく困難になる。」
「以上の事実関係を考慮すると、弁護士Yには、自称売主の本人確認において、成りすましによるものであることを疑うべき事情があったというべきであり、これによって買主Xが損害を被ることについての結果予見可能性があったものと認められる。」
と認定しました。
そして、さらに一審判決は、原則として、
「不動産登記規則72条2項1号が、資格者代理人による本人確認は、運転免許証、住民基本台帳カード、旅券等、在留カード、特別永住者証明書又は運転経歴証明書のうちいずれか1以上の提示を求める方法によって行う旨定めていることからすれば、原則として上記方法により本人確認をすれば結果回避義務を尽くしたと評価することができる。」
と述べつつも、例外として
「もっとも、登記申請手続を遂行するに当たり職務上知り得た事情に照らし、当該申請人が申請の権限を有する登記名義人であることを疑うに足りる事情が認められる場合には、上記方法によって本人確認を行ったことによって直ちに注意義務を尽くしたと評価することはできず、さらに、当該事情の内容に応じた適切な調査をする義務を負うというべきである。」
とした上で、本件については
「これを本件についてみると、本人確認の追加資料として提出された本件遺産分割協議書は、かえって本人確認に当たり疑義を抱かせる体裁のものであり、本件売買契約の履行態様も不自然なものであったのだから、提示を受けた本件住基カードが一見して真正なものと判断されるようなものであったとしても、成りすましによって発行を受けたり、偽造によるものであるという可能性を疑うべきであ」る。
と認定しました。
そして、このような場合に弁護士Yとして行うべきだったこととして
1 自ら売主の自宅に赴くか、売主の自宅に確認文書を送付して回答を求めるなどして、本人確認を行う義務があった
2 また、本件売買契約の締結までに、上記のような他の手段による本人確認をする時間的余裕がなかったのであれば、弁護士Yにおいて、本人確認情報の作成や本件売買契約書調印の機会に、更に本人確認のための調査をする必要があることを指摘し、本人確認が完了するまでは本人確認情報の提供に応じられないことを申し入れ、自称売主が同申入れを拒否するのであれば、本人確認情報の提供を拒絶すべき義務があった
とし、結論として、
「そうであるのに、弁護士Yは、上記のような措置を講じることなく、追加資料の提出を受けた翌日である平成26年2月26日に本人確認情報を作成及び提供するとともに、登記申請代理人として登記申請書の作成に関与したのであるから、結果回避義務に違反したというべきである。」
と述べて、弁護士Yの不法行為責任を認めました。
他方で、裁判所は弁護士Yに対して全額の賠償責任を認めたわけではなく、以下のように述べて、買主に4割の過失相殺を認めました。
「契約当事者は、自らの責任において、契約の相手方と名乗る者が真実の相手方であるかどうかの本人確認をすべきであり、契約の相手方と名乗る者から契約の立会人となること及び本人確認情報の作成を依頼された者がおり、それが弁護士であったとしても、買主X自らが弁護士Yに本人確認を依頼したものではないから、買主Xにおいても本人確認をすべきであることについて何ら変わるところはない。」
「代金約2億4000万円を現金で支払うとの内容の本件売買契約を締結することについて、売主と面接することや本件不動産の現地を確認することなく電話でGに承諾をしているのであるから、自ら又はGをして売主の本人確認をした事実はおよそ見出せず、他にかかる事実を認めるに足りる証拠はない。」
「もっとも、他方において、弁護士Yが本人確認情報を作成したことは、不動産登記規則に基づき資格者代理人となることができる者として限定列挙されている弁護士の地位に基づいて本人確認情報を作成したのであるから、買主Xにおいては、弁護士Yが作成した本人確認情報について一定の信頼を抱き、それ以上の調査を行わなかったことについて無理からぬ面があったということもできる。」
「上記事情を考慮すると、買主Xが弁護士Yの不法行為により被った全損害から4割の過失相殺をすることが相当である。」
しかし、東京高裁判決においては、弁護士Yの責任を認めた主な要因となった2点(遺産分割協議書の記載が誤っていたこと、売買代金を現金で決済するという異例な方法であったこと)について、以下のように述べて、弁護士Yの責任を認める根拠にはならないとして、結論として一審判決を覆して弁護士Yの責任を否定しています。
・弁護士Yは、本件売買契約書の調印の際、本件売買契約の代金について、城南信用金庫銀座支店で現金決済することを聞いたのであり、そうすると、本件売買契約締結時までの間に、現金決済となったことを明確に認識していたと認めることはできない。
・したがって、弁護士Yは、本件本人確認情報を作成する際に相応な調査・確認を行っていると認められるのであり、それ以上に、甲谷の自宅を訪れ、あるいは、QRコードを読み取るなど、本件住基カードの提示を求める方法以外の方法によって本人確認すべき注意義務があったとは認められない。
以上のとおり、本事案は、
自称売主が申請の権限を有する登記名義人であることを疑うに足りる事情があったか
という点について、地裁判決と高裁判決ではその事実認定と評価が分かれた事案です。
しかし、もし、高裁判決においても弁護士Yが当初から「売買代金を現金で決済する」という契約条件を知っていたと認定されていた場合は、どのような結論になったかはわかりませんので、専門家の責任について際どい事案であったものと考えられます。
この記事は、2024年8月18日時点の情報に基づいて書かれています。